ハインツ・ホリガー オーボエ・リサイタル を聴いて

音楽と言葉

2023年9月19日に、東京文化会館 小ホール でハインツ・ホリガー氏によるオーボエ・リサイタルが行われた。
ファンとして、あまりにも素晴らしい公演だったので聴き終えた想いを書き綴ってみたい。
ちなみに、この文章を書いているのは翌日の9月20日だ。
今すぐに書いておかないといけないのではないか、という見えない力に迫られる思いで書いている。

私は音楽の専門教育を受けていないので、音楽評論家の皆様が書き伝えるプロフェッショナルな内容ではない。
個人的な感想、体験を述べるにとどまることしか出来ない…。
少しの間、お付き合い頂ければと思います。

前回の「音楽と言葉」で私はホリガー氏の価値について、いま「84歳」という事実をひとつの手掛かりにした。
しかし、昨夜の演奏を聴き終えその考えは全く意味をなさなかった。
もっと言えば、その切り口は間違いだった。

公演が終わり、ホールロビーで多くのお客様とお話しをしている中で、キーワードがあった。
皆、異口同音にある単語を、必ず口にして、その感動を噛みしめていた。
私も同じ思いだ。
それはこの一言に尽きる。

「神」

演奏を聴き終え、多くのお客様は同じことを感じた。
もちろん、ホリガー氏は世界最高の芸術家の一人であることは周知の事実だ。
しかし、実際にその「すごさ」を目の当たりにしてしまうと、芸術家から別のステージ上がってしまう。
そう、つまりは「神」であると…。

私は、奏者の表情や仕草が分かりやすい席に座っていた。
今回、改めて気がついたことがある。
演奏中、ホリガー氏の様子は「喜び」に満ちていた。
ホリガー氏は、幸せいっぱいの気持ちでオーボエを吹いていた。

中音域から高音域にかけての、あのオーボエ独特のたまらなく美しい響き!
レガートがバッチリきいた連符の滑らかさ…、ありえない!
そして、難易度の高いハイ・トーンが、バンバン決まるのはなぜ!

多くのファンを獲得する理由が、分かったような気がする。
今、演奏したい曲、聴いてほしい曲、伝えたいテーマを思いきり、エンジョイしながら
心ゆくまで披露されていたのだ。

間奏のときも、音楽に浸りきっている様子がはっきりと分かった。
曲の世界に同化していた。こういう人が指揮をするといいのだろう、実際しているが…。
そして、曲の本質に迫り音楽の素晴らしさを私たち届けてくれた。
ホリガー氏によって立ち上がる音楽は、紛れもなく聴き手一人ひとりの「宝物」となる。

ホール・ロビーでは、ホリガー氏のCDが販売されていた。
終演後、購入者にはサインをしてくれるという特典付き。
そのこともあり、常に売り場には長蛇の列が出来ていた。
21時過ぎに演奏が終わり、サイン会が終わったのは22時をまわっていた。
ホリガー氏は、多くのファン一人ひとりに感謝を伝えるよう丁寧にサインをしていた。

私は、演奏を聴き終わり「ドキドキ」した。
別に不整脈が原因でドキドキしている訳ではない。
これが芸術のなせる業だ。一生忘れることができない演奏会だった。
「芸術って何だろう」と考えると、意外とシンプルなのではないかと思った。

帰りの電車の中で、ふとこんなことを思い出した。
高校卒業後の浪人時代に、好きな女性と二人きりで箱根彫刻の森に行った(ちゃんと勉強しろよ…)。
帰りの箱根登山鉄道で、私は好きな人と一緒にいることに気がつき「ドキドキ」した。
あのときの気持ちが、昨夜のホリガー氏の公演後の「ドキドキ」と同じであった。

アンコールは何と3曲!大サービスだ。
ホリガー氏自身の作品を含め、フランス近代音楽の系譜をたどることができた最高のパフォーマンスだった。

今、偶然にもホリガー氏と同じ時代に生きていられることに、この上ない喜びを感じる。
ホリガー氏の存在は「永遠」なのだ。
公演が終りもうすぐ一日たつが、いまだに私の「ドキドキ」は続いている。

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