早いもので今年も残すところあとわずか。
2023年は、作曲家、指揮者、ピアニストのラフマニノフ生誕150年、記念の年だった。
ラフマニノフはロシア出身。20世紀前半にアメリカへ渡り、69歳でアメリカで亡くなった。
ラフマニノフは、その作品を通して多くの人に愛されている。
温厚な人柄もあって、美しいメロディーを多くの残した。
人類の宝だと思う。
ラフマニノフは、モスクワ音楽院在学中にチャイコフスキーの作品を自ら編曲して作曲技法を学んだ。
ラフマニノフの旋律は、チャイコフスキーへの尊敬の念に基づいている。
モスクワ音楽院の卒業制作として作曲した歌劇《アレコ》の初演を聴いたチャイコフスキーは、
ラフマニノフの才能を絶賛。
ところが、チャイコフスキーはその数か月後に他界してしまう。
より多くのことを学ぼうとしていた矢先の出来事、
ラフマニノフにとっては、大きなショックだったに違いない。
時は流れ、1958年にソ連で第1回チャイコフスキー国際コンクールが開催された。
そこで、アメリカ人ピアニストのヴァン・クライバーンが第一位に輝く。
本選で演奏された曲は、ラフマニノフ作曲 ピアノ協奏曲 第3番。
ちなみに、本選の審査終了後に審査員一同はフルシチョフ(当時の最高指導者)へ
アメリカ人を優勝させてもよいか?と聞き、
フルシチョフは「彼が一番なのか、それならば賞を与えよ」と言ったエピソードは有名。
第1回の覇者となったクライバーンは、アメリカへ帰国の前にチャイコフスキーの墓へと赴く。
受賞の感謝を胸に墓前に手を合わせたクライバーンは、チャイコフスキーの墓の土を母国アメリカへ持ち帰る。
そして帰国したクライバーンは、持ち帰ったその土をニューヨーク州に眠るある偉大な芸術家の墓前に供えた。
その偉大な芸術家は、セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)。
アメリカ人ピアニストによって、チャイコフスキーとラフマニノフは時をこえて結ばれた…。
ラフマニノフが残した美しいメロディーのひとつ「ヴォカリーズ」
ぜひ、演奏してみてはいかがでしょうか!楽譜はこちら。
オーボエ:
ファゴット:
天国でチャイコフスキー(T)とラフマニノフ(R)は、こんな会話をしているかも知れません。
(T)「ヴォカリーズ、聴かせて頂いたよ。とても魅力的な旋律だね!」
「まだまだ美しい曲を書ける才能が、君にはある!」
(R)「いえいえ、先生のアンダンテ・カンタービレには敵いません!」